株式会社ケーエスピー・ジョイントラボ
三角武一郎(ミスミタケイチロウ)さん

   それまで手作業で行われていた、賞味期限切れ商品などの中身の入った食品や飲料の廃棄に伴うビンの開蓋や中身出し、洗浄などを自動化する機器を開発しました。
 リサイクル関係の会社を興すきっかけは、廃棄ガラスのリサイクル機器メーカーを定年になった方との出会いでした。

「私は成功とは自分の目標を持って、そこに向かって歩み始めた瞬間から始まると信じています。夢を実現するために、今日起こす行動が成功につながるのです。」
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<青春時代の自画像>
   まさに「巨人の星」を地で行くようなスパルタ教育の少年時代を過ごし、中学からは甲子園への出場経験もある全寮制の中高一貫教育の名門校に進み、将来の夢と言えば、プロ野球の選手になることでした。でも中学の名選手も、セミプロクラスが競い合う高校野球ともなると、レギュラーの座を確保するのは並大抵なことではなかったのです。将来の進路を考えなければならなくなった高校3年の春に、私は野球ではなく、別の道を選択することにしました。それは追いつづけてきた夢をあきらめる決断だったのですが、「やるだけのことはやった。だめならだめで仕方がない。それで俺のチャレンジが終わったわけではない。」と考えたからです。「こうでなければならない」「こうしなければいけない」といった世間一般の常識的な判断ではなく、「失敗を怖れず、チャレンジする。もし失敗してもその時はその時だ。必ず復活できる。」という信念からの決断でした。

 私が下した決断とは、「社会福祉を学ぶために米国に留学する」ことでした。高校3年の夏休みにホームステイを経験しました。そして高校を卒業後、サンフランシスコに渡り、語学専門校で英会話を勉強してから、4年制の大学に入学したのです。ところが1年半が過ぎた頃、猛烈に野球がしたくなって、いても立ってもいられなくなり、野球部がなかったその大学からナパバレイのカレッジに転校してしまいました。こと野球に関しては燃え尽きてはいなかったのです。

 その時の決断も日本人的な見方をすれば常識はずれと言われるかもしれませんが、アメリカの大学は次のステップに進むためのプロセスというものではなく、自分の夢や希望をかなえるために学ぶところ、自己実現のために腕を磨くところなのです。ですから、キャンパスにはお年寄りも通ってきています。年齢に関係なく、学びたいから大学に入学するのです。高校を卒業したら大学に進み、大学は会社に入るための通過点に過ぎないというだけのものではありません。明確な目的意識を持つということは、自己が確立されていることに他なりません。そしてものごとに対しての自分なりの価値観や人生観をきちんと持っていないと自己主張もできないのです。米国は多民族国家ですから、きちんと自己主張できなければ人とコミュニケーションできません。日本人どうしの「あうんの呼吸」というようなあいまいな感覚は通用しないのです。

 そんな環境で過ごすうちに、「野球をやりたいのなら、やればいい。自分のしたいことを無理に押さえつけることはないじゃないか」と考えるようになったのです。

 中学・高校と厳しい練習に耐えてきた私でしたが、ナパバレイカレッジ野球部の練習はそれをしのぐものでした。いくら野球でヘトヘトになっていても、それを成績がかんばしくないことのいいわけにはできませんから、あたまが痛くなるぐらい勉強もしました。私を肉体的にも精神的にも本当に鍛えてくれた2年間だったと思っています。

<創業への道>
   米国から帰国して、大手警備保障会社を経て、父が経営していた警備会社、(株)関東セキュリティーパトロールに入社しました。営業として4年が経過した頃、運命の出会いがあったのです。その警備会社で社員を募集したところ、廃棄ガラスのリサイクル機器メーカーを定年になった和田さんが応募して来たのです。和田さんから「大手メーカーでも賞味期限切れの中身の入った食品や飲料のビンやペットボトルをリサイクルする場合には、手作業で処理をしている」と言う話を聞いたのです。直感的にこれはいけると思いました。折りしも容器包装リサイクル法の施行が目前に迫っており、ビンや缶、ペットボトルなど使用済みの容器のリサイクルがメーカーとしても避けては通れない課題となっていましたが、再利用するためにはどうしても容器から中身を分離しなければなりません。市場調査をしたわけではなかったのですが、環境機器関連の商社に問い合わせたところ、コストに見合った全自動のリサイクル機器を開発できれば必ず売れるという回答を得たのです。

 そこで、賞味期限切れ商品など中身の入った食品や飲料の廃棄に伴うビンの開蓋や中身出し、洗浄などを自動化する機器の開発に乗り出しました。事業計画書を父に見せたところ、畑違いの事業なので当初はどう判断したら良いか、悩んだようでしたが、新規事業、新会社の設立を認めてくれました。和田さんと2人で1999年12月下旬に事業をスタートさせたのです。

 製品開発に先駆けて、食品や化粧品といった関連業界を対象に独自調査を行なったところ、不良品や賞味期限切れなどの中身の取り出しや洗浄は、予想どおりパート社員を動員するなど人海戦術で対応しているところが大半ということが判りました。

 売り先は当初から大手食品メーカーなどを想定しましたが、設立したばかりの小規模な会社が大手に口座を開いてもらうのはなまやさしいことではありません。そこで、2000年の5月の国際食品工業展へのデモ機の出展をもくろんだのです。開発期間は正味4ヶ月。従来にない機器の開発でしたが、ボトリングの自動機を応用できると考えて、設計・製造はアウトソーシングし、期日までに開発を完了して展示会に出品することができました。

 こうして開発した機器「ボトムアッパー」は容器と内容物を分離し、容器を洗浄し、リサイクル可能な状態まで完全に自動で処理できるものです。しかも前工程やと後工程と接続可能な設計をすることで、顧客ニーズに柔軟に対応できるようにしました。

 私達がターゲットとする顧客が最も集まりやすい展示会で、さまざまなメーカーの食品関係の生産ラインが一堂に集まる中、リサイクル分野の当社の機器は異質の存在として注目を集め、4日間の会期で300社を越える企業とコンタクトできたのです。

 最初の受注は大手化粧品メーカーでしたが、商談は2000年5月に始まり、正式受注は12月。まだ市場に出ていない機器であったこともあり、先方も慎重にならざるを得なかったわけですが、当社にとっては実に長く感じられました。というのも、7月には事業資金が底をついてしまったからです。最初に作った機器はデモ機ですから売るわけにはいきません。2号機は資金的に作れないという状況になってしまったのです。営業面では和田さんに頼ったのですが、資金調達については私が動かなければなりません。まず、商工会議所の応援を得て、創業関連の公的支援を県から受けることができました。信用保証協会の保証付き短期(5年)融資で、700万円を借り入れることができたのです。その資金は2号機を作る過程ですぐに使い果たしてしまいましたが、それでもありがたいものでした。開発型ベンチャーが大口の注文を狙うとき、資金をどうやりくりしていくかは大きな課題です。このような制度融資を受けられると、お金の調達という直接的な効果とともに、事業そのものを認められたというPRにもつながります。それが、大手企業から注文を受けるための訴求材料にもなるのです。(財)埼玉県創造的企業投資育成財団が主催する「彩の国ベンチャーフェア」という催しでビジネスプラン優秀賞をいただいたことも受注への大きな足がかりになりました。

 リサイクル機器を開発、販売するといっても機器そのものは外部の提携工場につくってもらう、いわゆるファブレス経営で、社名の「ジョイント・ラボ」も当社が大手企業や機器を販売してくれる商社の下請け的な企業になるのではなく、また機器を製造する外注工場を下請けにするのでもなく、当社を仲立ちとした企業連合が顧客の望むリサイクル機器を開発していくというイメージで名づけたものです。

 2001年3月現在でボトムアッパーはさらに大手薬品メーカー1社への納入が決まり、そのほかに10社を越える企業との商談が進んでいます。容器のリサイクルは自動化できても、中身の処理、つまり食品の残滓をどうするかの問題は解決されていません。そこで、そういった生ゴミを炭にして、それを資源とした発電装置をもつ処理機を開発中です。
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