お布施とは。
「お布施」とは仏教では六波羅蜜のひとつとされ、「大乗の菩薩が悟りを得るために修行しなければならない六つの修行」の第一番目のもの、布施波羅蜜のことです。「布」は精神的に広く行き渡ること、「施」は物質的に恵みを授けることです。
布施とは、決して金銭や財産を施すことだけを言うのではなく、自分のできることで相手の利益になることを相手を選ばずにしてあげることなのです。

お布施とは「取られるもの」ではなく、仏教本来の意味からすると
供養つまり喜捨のことなのです。世間の慣習だからやるというものではなく、感謝の気持ちを持って仏に差し出すものですから、その時に自分の心のなかにほんの少しでも「惜しむ」気持ちがあったりすると、仏教の基本である「自我への執着、お金や財産など物質への執着を断ち切る」という考え方に反することになります。

お布施は、喜んで仏に対して差し出すものですから、何かの行為に対する対価などではなく、また僧侶はそれを預かる媒介役を務めるものです。
戒名とは。
戒名は世界の仏教国でも日本だけで行われている特殊な慣習です。本来は仏の教えに従って生きて行こうとする人に授けられる名前で、生前戒名こそが正しい姿だったのですが、今は死んだ時にもらうあの世への通行手形のように誤解されています。生きている間に仏縁に恵まれなかった人が死にいたったとき、死後少しでもほとけの世界に近づいてもらいたいという思いから、便宜上、菩提寺の住職が葬式の場で簡単な授戒を行い、戒名を授与するといった形式が、現在大半を占めています。それにランクをつけ、「院号」をつけたからいくら、「院殿・大居士」にしたからいくらと値段をつけるようなことは、仏教の本義には違背しているのです。

戒名とは、仏教徒として定められた戒め(いましめ)を守ります、という約束が成立した段階で授与されるものであり、それを約束するために生前に、同信同行で、しかも徳の高いお坊さんの指導により、一定期間、授戒会(じゅかいえ)という定められた修行を行い、それが成就して許され、授けられるものなのです。

仏教で守るべき代表的な戒は五つあるとされています。
第一に不殺生戒(ふせっしょうかい)、殺すことなかれ。
第二に不偸盗戒(ふちゅうとうかい)、盗むなかれ。
第三に不邪淫戒(ふじゃいんかい)、犯すことなかれ。
第四に不妄語戒(ふもうごかい)、嘘をつくことなかれ。
第五に不飲酒戒(ふおんじゅかい)、酒に飲まれることなかれ。
この他にもこまごまと戒が規定されていますが、それらを日常生活で完璧に守ることはできないにしても、それぞれの人生のうえで、常に
この戒律がその人にとってのコントロールとして働き、仏教を基盤に生活していくという自覚がうながされることが、授戒の大きな目的となっています。
戒名とは、仏教徒であるという認識を持ち、ならば仏教徒としてどういう戒(きまり)を守るかということを学ぶため、一定期間、罪を懺悔し心身を清浄にする修行を行い、同信同行で釈尊(ブッダ)の代理としての立場にある高僧の指導によって、戒めを守りますという約束をしたうえで与えられる仏弟子としての称号なのです。
戒名が依ってくる意味の説明もなしに授与されてしまうと、それは葬式の付け足しと考えられ、そんなものは不必要だとされてしまうのです。
戒名については一般の人が値段の高い方がいい戒名だという認識を持っていることにも問題があります。また、昔は檀家が日常的に寺の経済を支えてくれていたけれど、今は葬儀の時のお布施や戒名料に頼らざるを得ないという寺側の実情もあります。

本来の戒名の意味を理解したとき、仏教徒としての清浄な世界を形づくることができ、やすらぎを得られるのではないでしょうか?
  • ○○信士、○○信女といった基本(最短)の戒名、法名は、仏教の信徒または入信を表明している限り、檀家、非檀家に関係なく無料とする。
  • 居士・大姉や院号などが付け加わった上位(長い)戒名は、「追善」であることをはっきり表明して、応分の布施を寺院に奉納していただくことにする。その額は檀家代表や寺院役員、同宗派や地域の仏教会などが協議して決め、情報公開します。
「葬式に坊主は不要と釈迦は言った」
北川紘洋著 はまの出版より
「死にぎわのわがまま」        
高橋卓志著 現代書館より 

(社)長寿社会文化協会 「お葬式優秀論文集」より引用
優秀賞 橋本和彦氏/東京都 「葬儀を縁として」より
 葬儀という仕事に従事して早や8年目を迎えた。この8年間で今もなお、私の心に深く残っているいくつかの葬儀がある。
 あるおばあちゃんが亡くなった時、お寺の住職は檀家の中でも最高級とされる「○○院○○大姉」という戒名をつけた。
 慌てた家族が「こんなに立派な戒名を戴いて、一体お布施をおいくらぐらい包めばよろしいでしょうか」と相談したところ、「おばあちゃんは暑い日も寒い日も、何十年もの間、うちのお寺の門前を毎朝掃除して下さっていました。それが何よりのお布施です」と住職はおっしゃって、全く金銭をお受取りにならなかったという。
私は「お布施とは本来、決して金銭的なものではなく、お寺やみ仏、先祖に対して尽くす心なのかもしれないなあ」と思った。