疑問(1)
自分は仏教徒ではないのに、なぜ死んだら仏式で葬儀をあげなくてはいけないのだろうか。 |
仏教葬儀への疑問は特に都市部に多く見られる。寺檀関係を意識している人は全国で7割、都市部ではせいぜい5割。だが、葬儀となると依然として8〜9割が仏教葬儀を執り行っている。日常的に寺院と関係を結んでいない人が多くなっており、また彼岸意識が薄れるなか、死者をあの世へ送る回路とされてきた仏教葬儀が社会儀礼化している。 |
疑問(2)
自分は家族や知人だけに見送られたいのに、なぜあまり関係のない人にまで迷惑をかけて大げさに死んでいかなくてはならないのか。 |
お葬式が原点を忘れ、単なる死後のセレモニーになってしまうなら、それは虚礼となる。現代のお葬式に疑問を感じている人は、お葬式そのものを否定しているのではなく、現状のお葬式の様式が自分たちが考えるものとは異なると考えている。死者を弔う以外の要素がたくさん入りこんできて、もはや虚礼としか呼べないお葬式への疑問である。 |
疑問(3)
生きているものこそ大切なのに、なぜお葬式に巨額のお金をかけなければいけないのだろうか。 |
自分の葬儀のためにお金を費やすより、残った配偶者のた
めに残したり、子供達の生活の援助になったほうが有益だと考える人が少なくない。
お葬式は費用がかかりすぎるという一般の感覚はまず「お葬式はわからない」から始まり、「わからないものになぜあんなにお金がかかるのかわからない」、したがって「無駄な費用をかけている」となる。この消費者の「わからなさ」に対する葬祭業者などサービスを提供する側からの情報提供が不十分である点に問題がある。
お葬式の費用のメニューには、物に値段が付いている。祭壇は、棺は、生花は。しかし消費者は物にたどり着く前に、自分たちのお葬式イメージを作りあげる必要がある。その顧客のイメージを、顧客の希望する予算内で実現するには、物だけではなく、ソフト的なサービスを含めて説明する必要がある。
今、必要なのは「選択と納得」のための業者からの情報の提供、あるいは聞き取り作業である。 |
疑問(4)
死は自分のものなのだから、自分の意思どうりのお葬式をしていいはずなのに、なぜ世の中の慣習に合わせたお葬式をしなければいけないのか。
お葬式は生きている者の世間体を飾るだけのものになっているのではないか。そんなお葬式はしなくていいのではないか。 |
お葬式という儀礼は、宗教的には「死者をあの世に送る」ことである。また社会的には「死者を死者として認める」ことである。社会的に死を告知する意味に加えて、死者の尊厳を社会的に承認することを意味している。従ってお葬式では、死者への弔意を表明することが重要になるし、死者の遺徳が語られることが重要になるのである。死者が、仮に社会的には無名であったとしても、葬式を営むことは、その死者が生きた人生への尊厳、共感を寄せ、かけがえのない一個の人格、命として尊重して、その死を惜しむことである。 |