葬儀は誰のためのものか?

オピニオン その1
現代は死がタブー視される風潮にあるが、死に触れることは決して忌まわしいことではない。厳粛な死の事実を見た時、人々は「生き方」について深い思いをめぐらす。生者にとって大きな心の財産になる思いである。
葬儀は人の生と死の行為について考えさえるために、死者が縁者を呼び寄せるのだという。葬儀は死者がこの世に残していく最後のプレゼントである。「葬儀とは、死者の死をもって生者が生き方を学ぶ場である。」
オピニオン その2
葬儀とは、死者を弔うだけではなく、後に残された身内が、自分たちの心を整理するために営む行事。
残された者は、受け入れがたい身近な者の死を受容しなければならない立場にある。葬儀は残された者の癒しの場であり、死を受容する場である。葬儀は残された者のためにあるべきである。
また、自分の葬儀は自分では執り行えないものであるから、そこには関係者が集う「場」ができあがっている。そして人は、葬儀の場を得て人と人との関係性を再確認したり、死生観を喚起することができる。
オピニオン その3
自分らしく生きて、その生を自分らしく全うするための「最後の幕引き」「生の完結」として葬儀が存在する。自分史を書き、自分の生きた証を残して、その意思で人生の最後を完結させる。
問題は、自分の意思と遺族の思いが両立できるかどうかである。どのような葬儀を望むかは人間の基本的人権であるといっても、葬儀をするのは遺族であり、遺族の周辺との関係が強く出てくるものであり、単なる死者個人の私事とはいえなくなってくる。
しかし遺族のために、思い切って簡素な葬儀を決断してあげるという「愛ある」行為として、自分流の葬儀を意思として残したい。
社団法人 長寿社会文化協会(WAC) 平成10年度
No.163臨時増刊号 長寿社会への提言
「お葬式」優秀論文集 より抜粋編集